Photos: ©Julie Ansiau

Astier de Villatte

 

City : Paris

 

1996 年の創業以来、アスティエ・ド・ヴィラットの活動は多岐に渡る。

現在パリに唯一残る、18 世紀のパリ手工芸を継承する陶器工房では、エスタンパージュ装飾技法を現代のテイストで蘇らせ、伝統とモダニズムを融合させている。パリ郊外の印刷所では、フランス最後の( そして世界に残る極めて希少な)活版工房として、鉛版による本の印刷を続けている。

出版社では、一風変わったガイドブック『Ma Vie à Paris (私のパリ生活)』、および多彩な才能を発揮するアーティスト、ルー・ドワイヨンとのコラボレーションによる、初のアート本『Drawings( ドローイング)』を出版しました。この2作に続く新刊が、『MITSOU( ミツ) 』。

フレグランスの創作では、著名な調香師の協力を仰ぎ、オーデコロンやケア製品、お香、消しゴム、そして「香の世界一周」をテーマにしたパフュームキャンドルの壮大なコレクションを生み出しています。さらに、チタン製のカトラリーや硬質ガラス製のグラス、キューブのモチーフを活版で印刷した手帳、そして世界各地から厳選して集めた、目を見張るようなクリスマスオーナメントなど、アスティエ・ド・ヴィラットのクリエーションはパリのサントノーレ通りとトゥルノン通りのアスティエ・ド・ヴィラットのブティック、東京のH.P.DECO(エイチ・ピー・デコ)、神戸のアッシュペーブチックなどに揃っている。

 

 

INTERVIEW  2016.11

Photos: © Sophie Delaporte

 

ASTIER de VILLATTE(アスティエ・ド・ヴィラット)のクリエイター、Ivan Pericoli(イヴァン・ぺリコリ)とBenoît Astier de Villatte(ブノワ・アスティエ・ド・ヴィラット)は、2016年1月、パリジャンとしての暮らしを私小説的に語ったパリガイド、 MA VIE A PARIS 『私のパリ生活』を出版した。 2016年11月、この日本版の『私のパリ生活』出版に合わせて来日したクリエイターの二人に、改めてたずねた。

 

Photos: ©Julie Ansiau

 

アスティエ・ド・ヴィラットがスタートするきっかけを教えてください。 

 

1990年の中頃、エコール・デ・ボザール(パリ国立高等美術学校)の学生やアーティスト仲間たちと頻繁に集まってはオブジェを制作していました。当時、画家で彫刻家であるブノワの父親のアトリエには陶芸の窯があって、それを使ってテラコッタ製のクープ(杯)を焼いていたのです。記念すべき我々のセラミック第一号ですね。そのクープの中には、テラコッタで焼いて着色した果物を入れて飾りました。だから、それは食器というよりは装飾品。まるで壁に飾る静物画のような。それがきっかけで色々なアイデアが広がり、陶器と家具を職人的な技法で作る小さな会社を立ち上げたのです。1996年9月にインテリア雑貨の展示会「メゾン・エ・オブジェ」に初出展。その時点では、まだこれからどうなりたいとか、どこへ進んでいくのか、自分たちにも明確ではなかったけれど、世界中のバイヤーからオーダーが入り、商品が売れたのです。こうして「アスティエ・ド・ヴィラット」は偶発的に始まりました。

 

最初に会った時から二人はすぐに意気投合しましたか? 

 

共通の友人がいて、その紹介で会ったのですが、はじめはわかり合えない部分もありました。共通点を見つけるまで、やはり少し時間が必要でした。

 

「アスティエ・ド・ヴィラット」を共にスタートするにあたり、何か決まりごとはありましたか?

 

特にはないです。しかもどのタイミングで「さあ、一緒にプロジェクトを始めよう」と口に出したのかさえ記憶が曖昧です。あの頃は、ただ二人でなにかクリエイティブなことを始めたいという漠然としたアイデアがあったことだけは、よく覚えています。

 

二人ともパリのエコール・デ・ボザールで学びました。この学校は、厳格な古典教育と、専門のカリキュラムを持たないことで有名です。このような体制はフランスをのぞいて、あまり類を見ないと思いますが、ここでの教育はその後どのような影響をもたらしましたか? 

 

私たちの学年のボザールは、特別でした。 すでに何年も前から昔ながらの古典的な教育形態は影を潜め、映像やパフォーマンス、インスタレーションなどの現代美術が注目されていました。アカデミックな堅苦しさでなく、もっと自由なコンテンポラリー芸術に傾倒していたのです。にもかかわらず、ゼミのピエール・カロン教授は時代に逆行するように、一貫して古典美術にこだわりました。私たちは、コンテンポラリーアートを学ぶ他の学生たちとは一線を置いて、自然観察や偉大な芸術家たちの作品について徹底して学んだのです。当時、彼らはまるで珍しい恐竜のティラノサウルスでも眺めるように、私たちのことを眺めていました。時代に反して、懐古趣味に走る我々を理解できなかったのだと思います。しかし、過去の巨匠の作品を学ぶことなく新しい芸術を創ることはできません。自分たちの様式を決め込まないことや、本能を信じることなど、さまざまな可能性を試すことをこの時期の私たちは学びました。

 

現在の二人にとって、今までで最も影響を受けたのはボザールですか?それとも美術館や蚤の市に通った時間ですか?

 

私たちにとっては、蚤の市やブロカントも街中にある美術館の延長です。また、ボザールで学んだという痕跡は今でも強く影響していて、人生の転換期となりました。

 

今でもパーソナルワークとして、絵画などの作品制作をしていますか? 

 

デッサンは描きますが、ゆっくりとキャンバスに向かって絵を描く時間は、残念ながら取れないですね。

 

Photos: © Stephen Kent Johnson

 

彫刻家のジョルジュ・ジャンクロ(画家バルテュスの教えを受けた彫刻作家であり、ボザールの教授として二人に彫塑の技術を授けた芸術家)は、二人にとっての恩師であり、かけがえのない存在だったと思います。彼の教えの中でも、最も印象深く記憶に残っていることは何ですか?また、当時の彼の教授法は、他とは異なっていたのでしょうか?

 

ジョルジュ・ジャンクロは、主にブノワの教授で、イヴァンは半年間だけ彼のアトリエに通いました。彼は偉大な文化人であると同時に、素材とデッサンに対する並外れた理解力の持ち主でした。ピエール・カロンと同様、そんな先生は他に存在しません。素晴らしい師に出会えたことは、私たちにとってとても幸運なことです。

 

アスティエ・ド・ヴィラットにとって欠くことのできない美学、またはエスプリを教えてください。 

 

自分たちにもまだよく分かりません。それは、私たち自身が日々変化して、時間とともに基準が進化しているからです。過去に存在したオブジェを元に、自分たち流のニュアンスを加えて新しいフォルムにするのが私たちのやり方。だから、興味を持てる素材や、楽しめることをいつも探しています。もしも繰り返し同じようなモノを作り続けたら、きっと退屈で魅力のないモノになってしまう。だから、まずは私たち自身が楽しみながら制作することを心掛けています。

 

二人が創り出すカップ、皿や器類、またノートブックなど、どれもが美しい静物オブジェで、それこそがアスティエ・ド・ヴィラットの本質的美学だと思います。なぜ、そのように静物に魅了されるのでしょうか? 

 

確かにそうですね。幾度も、数えきれないほど美術館へ通ったり、画集でアーカイブの作品を見たり、長い時間をかけてじっくりと作品と向き合うことを習慣づけてきました。そうして長い間、数多くの作品と対話してきたので、画家と同じ視点でモノを見るようになったのです。たとえば、陽のあたるテーブルの上に置かれたオブジェを見れば、すぐにボナールかマチスを連想するし、微光で薄暗がりの中にあるオブジェは、マランディかスルバランを思い起こすというように。

 

たくさんの陶器作品を発表し、現在カタログには40種類のコレクションが掲載されています。各コレクションのネーミングには、二人の間でなにかルールがあるのですか?例えば、「Adélaïde(アデライド)」「Régence(レジェンス)」「Révolution(レヴォリューション)」はどのように命名されたのでしょう? 

 

それぞれの作品の名前はほとんど直感でつけています。「アデライド」は、ブノワの姉のマチルドのためにデザインしたもので、マチルドの娘の名前「Adélaïde」から命名しました。「レジェンス」は18世紀初期のフランス摂政政治から連想したもの。「レヴォリューション」という皿は、ミニマリズムで少し硬い印象なので、フランス革命を想起して名付けました。

 

アスティエ・ド・ヴィラットを語る時、忘れてはならないのが、20世紀を代表する偉大な画家、バルテュスです。二人にとってのバルテュスとはどんな存在ですか? 

 

ブノワの両親がイタリアのヴィラ・メディチ(ローマのピンチョの丘にある、フランスの国有資産の複合建築物。在ローマ・フランス・アカデミーが置かれており、エコール・デ・ボザールを主席で卒業した生徒が奨学生として作品制作の為の滞在を許可される)に長期滞在していた時に、ヴィラを運営していたのがバルテュスでした。ちょうどその頃、ブノワが生まれました。滞在中の両家は、とても親密な友好関係を築き、特に画家で彫刻家であるブノワの父は、芸術的な面で絶大な影響をバルテュスから受けたのです。そして、今はブノワがそのエスプリを受け継ぎました。私たちにとって先生のような大切な存在です。

 

2014年に画家バルテュスの妻、節子・クロソフスカ・ド・ローラ伯爵夫人とのコラボレーションで陶器と香りのコレクション「グラン・シャレ」を発表。翌年には「ヴィラ・メディシス(ヴィラ・メディチのフランス語読み)」を発表しました。節子夫人とのコラボレーションはどのように始まったのですか?

 

ある日オフィスの電話が鳴ったのです。それは10年ぶりの節子夫人からブノワへの連絡でした。私たちはすぐに再会し、話をする中で、「一緒にモノ作りをしましょう」というアイデアがうまれました。以来、アスティエ・ド・ヴィラットのアトリエ内に、節子夫人専用のアトリエを設置して、彼女は定期的に創作のためにパリに来ています。私たちはこの幸運な再会とチャンスを決して手放さないでしょう。

 

バルテュス以外にも、影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?

 

イタリアのクワトロチェント時代の画家。フランス人画家、ジャン=ルイ・ダヴィッド、ドミニク・アングル、ナビ派の作家たち、エドゥワール・ヴュイヤールとピエール・ボナール。それから近年の作家では、ドミニコ・ニョーリとデヴィッド・ホックニーです。

 

 

Photos: © Stephen Kent Johnson

現代のアーティストで好きな作家はいますか?

 

パフュームキャンドル「パレ・ド・トーキョー」のプロジェクトでコラボレーションした、ユードゥ・メニケッティ。素晴らしい芸術家です。

 

2017年4月、パリ左岸トゥルノン通りにアスティエ・ド・ヴィラットの2号店がオープンしました。どのように新店舗のロケーションを決めて、またどのようにオープンに至ったのでしょう?

 

新しいショップは、私たちがパリで一番好きな通りにあります。そしてお店のボリュームもちょうどいい広さです。床のタイルはアスティエ・ド・ヴィラットのノートブックの表紙と同じモチーフのキューブ柄。なにもかもが理想的で、ここはまさに私たちのためのブティックだと直感したのです。もちろん、他の国へもいつかは出店したいですが、まずは私たちがひと目惚れするくらい魅力的な場所に出会うことが最優先です。また、私たちが作りたいのは、自分たちが何度でも通いたくなるような店です。

 

サントノーレ店とトゥルノン店、それぞれの違いはなんですか?

 

お客様の層が違います。サントノーレは、活気があって客層もインターナショナル。しばしばモード関係者が訪れます。それに比べて、トゥルノン通りは静かで落ちつきがある。独特の厳かな雰囲気で、ちょっとだけ気難しい常連も多いです。

 

お店にとって必要なことはどのようなことだと思いますか? 

 

グッドフィーリング!いい雰囲気を感じられること。

 

世界中の魅惑的な都市の名前を冠したパフュームキャンドルをプロデュースし、独特の香りとストーリーを持ったシリーズが発表されています。どのようにこのキャンドルのプロジェクトがスタートしたのですか?また、どうして場所の名前をつけることにしたのでしょうか?

 

 2008年に調香師のフランソワーズ・キャロンと出会い、彼女が扉を開けて、私たちを伝説的で奥深い香りの世界へと導いてくれたのです。ボザールでは“見る”ことを学び、フランソワーズからは“感じる”ことを教えてもらいました。香りの世界には終わりがなく、鍛練は果てしなく続きます。創作の遊び心と制作工程の難しい現実が交互に押し寄せるのです。コンセプトは、私たちにインスピレーションを与えてくれた各国の都市をイメージした香りを作ること。“移動しない旅”というテーマが気に入っています。だって、このキャンドルがあれば、自分の部屋でいつでも旅先へ逃避できるのですから。

 

お気に入りのキャンドルを教えて下さい。

 

常に好みは変わりますが、「オペラ」は好きな香りです。でも最近は、新作の「パレ・ド・トーキョー」。スペースシャトルを連想させる香りで、同時に燃えたあとの灰は退廃的な廃墟を想起させます。それは、私たちの大好きな「パレ・ド・トーキョー」のイメージ。この現代アートのシンボルであるミュゼへ捧げる香りなのです。

 

陶器、香り、文具などそれぞれの製品には、ストーリーやテーマはありますか?

 

各カテゴリーにはそれぞれの世界観が存在します。そして、新たに本と出版という分野が加わり、今後は執筆と出版という世界を探検することになりました。

 

これまで数多くのアーティストとコラボレーションをなさっています。これらのコラボレーションはどのように始まるのでしょうか。

 

 私たちは自分たちの世界観だけに興味があるのではなく、刺激的なより広がりのある他の世界を知りたいのです。さまざまなアートの分野に出会えるコラボレーションワークは、私たちにとってとても幸運なことです。

 

 

Photos: © Stephen Kent Johnson

 

沢山のアーティストの中でも、特にジョン・デリアン氏とは数多くのコラボレーション作を発表されています。どのように彼と出会い、コラボレーションがスタートしたのですか? 

 

ジョンが自身のNYのショップのために、アスティエ・ド・ヴィラットの陶器を買い付けたのが、最初の出会い。そのうちに今度は、私たちが彼のデコパージュ(紙を切り抜いて、様々な素材に張り付ける技法)を買い付けることになったのがきっかけです。そうしてゆっくりと親交を温めていくうちに、コラボレーションが自然に始まりました。

 

 

Photos: © Sophie Delaporte

 

2017年にパリのガイドブック『Ma Vie a Paris(私のパリ生活)』を出版されました。このプロジェクトはどのように始まったのですか? 

数年前から活版印刷に興味がありました。繊細なタイポグラフィーの機械や、美しい組み文字などすべての要素が、忘れられた文化遺産として、私たちを呼び起こしたのです。そんな時、以前からつきあいのあった印刷工場の経営不振を知り、そこを守るために買い取ることにしました。ここは、フランスで唯一現存する活版印刷所です。このアトリエの存在がきっかけとなって、自然な流れでパリの本を出版することになったのです。

 

なぜガイドブックというテーマを選ばれたのでしょうか? 

 

それは自然に導かれたという感じですね。私たちはパリが大好きだし、以前から素敵な場所や店を友人たちと分かち合うのが好きでした。だから、今回本を作ることになった時も、自然にアイデアが浮かんできたのです。

 

『私のパリ生活』では、二人の好きな場所やお気に入りのアドレスがオープンに紹介されています。普通ならとっておきの場所は自分だけの秘密にしたくなると思うのですが、なぜ掲載しようと考えたのですか? 

 

自分たちだけの秘密のアドレスという考えは一切ありません。それよりみんなで共有したいのです。もしも、この本がきっかけで、お店に一人でも多くのお客さんが訪れてくれたらとてもうれしい。私たちにとってなによりのグッドニュースです。この本の中で紹介している多くの店や場所は、あまり知られていなくて客足も少ないところが多い。もしも自分のエゴで秘密にしていたら、経営が立ち行かなくなっていずれは閉店してしまうかもしれません。だから、読者の方々と分かち合うことがこの本の目的でもあるのです。私たちの歯科医や鍵屋さんまで紹介していますよ!

 

アスティエ・ド・ヴィラットの印刷部門の功績者であり、“活版印刷マスター”と呼ばれる、SAIGのフランソワ・ユアン。彼の存在なしでは、アジェンダやパリのガイドブックは作れなかったと伺っています。彼との出会いと、仕事がスタートしたきっかけを教えてください。

 

おっしゃる通りです。ユアン氏の協力なしでは、文具も本も実現しませんでした。当時SAIGにエロティックな雑誌の印刷を依頼していた女友達がいて、彼女の紹介で2000年に初めてユアン氏に会ったのですが、過ぎ去った時代に生きているような彼の言動と、大きく強靭な身体にとても驚かされました。ひねくれ者で、いつもだいたい不機嫌。でも、黄金のハートの持ち主で、機嫌のいい時の彼は、信じられない程ユニークでチャーミングなのです。彼の仕事に対する技量と情熱をみていると、まるで私たちにとって家族のような存在だと思います。

 

現代の日本では全て活版印刷で印刷された書籍を見つけることは非常に困難です。フランスには、まだ植字印刷の出版物は残っているのでしょうか? 

フランスでもとても少なくなっています。小さなインディペンデントの出版社がいくつかフランソワ・ユアンのところへ依頼に来ます。そのほとんどが詩集かアーティストブックで、そういう出版社は「ビブリオフィリィ(書籍道楽)」と呼ばれています。私たちが日本で出会った活版印刷工場は、驚いたことに我々と同じ方法で作業をしています。『私のパリ生活』はポエムやアーティストブックとは違い、桁外れに文字数が多い本。それは、膨大な仕事量を要し、活版印刷の文化を表現するための本でもあるのです。

たとえば英語のアルファベットは26文字ですが、ひらがな、カタカナ、漢字とさまざまな文字がある日本語は、植字も大量に組み合わせなければなりません。日本語で300ページ超える植字を行うのはとても不可能に思えるのですが、どのように実現に至ったのでしょうか? 

 

確かに信じられないことです。でも、日本では古くからこの技法で本が作られてきました。コンピューター印刷は、少しだけ怠慢で味気ないものだし、PCに向かって仕事をする人はだれもがみんな同じ表情です。DNP(この度印刷を引き受けて下さった大日本印刷株式会社)と私たちの試みは、時代に逆らう馬鹿げた冒険なのかもしれません。今のままではやがて失われてしまう、活版技法という素晴らしい芸術を救うための完全なるチャレンジなのです。組み文字で仕上げたこの本は、まさに奇跡と言えるでしょう。

 

なぜ活版印刷にそこまで魅了されるのですか? 

 

理由はいくつもありますが、まず活版文字は、ページを美しく装飾する表現演出です。最近のデジタル印刷は、味がなく怠慢な印象に感じます。なにより、私たちは職人の作る文字装飾を信頼しているのです。コンピューターでは決して作ることができない、組み版の美しさ。逆説的ですが、大量な情報処理では品質が伴わないということをデジタル産業が我々に示してくれたのです。熱心に繊細な手作業でミスを防ぎ、一行ずつ組版を作っていく。ぶれないように均等にインクを配する…それらの細やかな工程が生き生きとした文字を作り、読書を心地よくします。このように活版印刷の魅力は数えきれません。もうひとつ、漆黒のインクや紙の上に繊細に印されたエンボス加工は、見た目の美しさと触れた瞬間の心地よい感動を与えてくれるのです。

 

パリガイド本の著者である二人にお聞きします。何度もパリを訪れている方に、“ある一日のパリ散策”として、お勧めのとっておきのプランはありますか? 

 

ゆっくりとセーヌ河沿いを散歩してください。たとえあなたがすでに何度もセーヌ沿いを歩いたことがあったとしても。私たちも毎回旅から戻って、セーヌ河とそこに架かる橋を眺める時、いつもその壮麗さに感動します。河岸にはブキニストと呼ばれる古本商の深緑の小屋がいくつも並び、それこそパリが継承するすばらしい伝統です。ブキニストは、私たちの本で絶対に紹介したかった項目。セーヌ川岸の散策こそが私たちのお気に入りプランです。

 

最後に、二人にとってのアート感のある暮らし(l’Art de Vivre)とは? 

 

私たちにも明確な答えはわかりません。でも、幸せに生きるための試みをすること、その幸せを周りの人たちと共有すること、心地よい環境と美しいオブジェ、素敵な友人たち。そしてなにより大切なのは、ポジティヴな考えを持ち、周囲の人たちと共感できる気持ちがアール・ド・ヴィーヴルだと思います。

 

Latest News

アメリカ発エマージングデザイナー、Eckhaus Latta (エクハウス•ラッタ)が、ニューヨークのホイットニー美術館で8月3日(金)より個展を開催。「アート展」として彼らのグッズが購入出来る、ファッション史にもアート史にも前例のない個展となる。ミレニアル世代が生んだ、新しい形のアートビジネスを成立させている形として、世間に話題を生んでいる。期間は2018年10月8日(月)まで。

Eckhaus Latta: Possessed

入場無料

 

99 Gansevoort St, New York, NY 10014

森川拓野「ターク」(TAAKK)デザイナーは、ニューヨーク ファッション・ウィーク内で行われた合同イベント「New York Men’s Day」でプレゼンテーションを敢行した。同デザイナーがNYでプレゼンを行うのは初めて。大判チェックや迷彩など力強いパターンを随所に盛り込み、ストリート感溢れるルックを構成している。テーマは「BASIC ODDITY」。通常はメンズウエアを軸に展開しているが、ウィメンズのモデルをミックスし、よりフラットな演出になった。また、18年春夏シーズンにはクアラルンプール(マレーシア)でファッションショーを行うなど、海外での訴求を強化している。